2011年5月14日土曜日

死刑囚が原発作業を志願したら...

ハリソン・フォード主演の米国映画「K-19」(2002年)を見たことはありますか。

旧ソ連の原子力潜水艦の原子炉で事故が発生、米ソの核戦争を引き起こしかねない事態を招きます。乗組員数名が炉心溶融を避けるため、数人の兵士が交代で作業に向かいます。
一定時間の作業を終えて戻ってきた兵士は、莫大な放射線を浴びて瀕死の状態、それを見て次の作業に向かった者は、どうせ死ぬのならと、命が絶えるまで作業を続けます。
その決死ぶりに目が奪われる、実話を元にした作品です。(角川書店


東京電力は12日、福島第一原子力発電所1号機の燃料が、形状を保っておらず、大半が溶けたことを明らかにしました。(asahi.com


事故発生以来、政府や東京電力の対応が後手に回っているとの批判ありますが、危なくて手出しができないというのは、K-19と同じです。手の出せる範囲で対処しているのでしょうが、事故収束と被害の拡大のスピード競争になっています。

何とかしなければという思いは持てても、死ぬ作業を求めることが、ソ連ではなく、日本で、できるでしょうか。


小沢一郎・元民主党代表は、決死隊による収束に言及したといいます。(asahi.com)(sankei.jp.msn.com


原発で事故対応に当たる人たちに、海外から賞賛の声が寄せられています。
今回の原発事故ではこれまで、放射線を浴びた事による死者は幸いにも、一人も出ていません。 しかし、楽観はできません。


もし、死刑囚が放射線汚染で危険なエリアでの作業を志願したら...


命を落とすなら、人や社会のために役に立つ死に方を求めるのは、不自然な考えとは言えません。
一方、死刑の原因となった罪の被害者からは、加害者が英雄のような死に方をするのが、許せないかも知れません。

死刑囚が刑場以外の場所で「刑が執行」されることは「想定」されていないでしょう。それに、本来は、法令が定めた場所で執行されるのが望ましいでしょう。
もちろん、福島第一原発での作業で死ぬとは限りませんが、放射線量が多くて、作業が困難なところに、あえて行くようでなければ、塀の外に死刑囚を出す議論は出てこないでしょう。


実現には、法律上の問題、被害者感情、社会的許容、政治判断が課題になりそうです。


特に、最後の政治決断ができるかどうか。いずれの決断をしても、必ず支持と批判にさらされます。その判断の妥当性について、当然、事後検証されることでしょう。
それに耐えうる議論と決断、説明が必要になるのでしょう。


不謹慎でしょうが、頭の体操として考えるのは、意義のあることです。「想定外」を減らすためにも。

システム障害でblog投稿消失

 googleのblog service blogspot (別名 blogger)でシステム障害があり、復旧のため、一定程度前の状態に戻されたようだ。(blogger status

障害中と思われる期間に公開したようで、直近二つの投稿が消失した。
とりあえず、local diskからこちらも復旧。

別のblog serviceに、mirror serverを建てるべき?

チッソになった東京電力

東京電力福島第一原子力発電所の事故は、今も収束の目処がたたぬまま、被害の拡大が続いている。東北電力女川原子力発電所、日本原子力発電東海第二発電所、東京電力福島第二原子力発電所も、地震や津波の被害にあったと言えるが、原子炉建屋が吹き飛ぶような爆発は起こしていない。

福島第一だけが特別大きな被害にあったのか、それとも、特別に対策が手ぬるかったのかは、今後の検証が必要だけれど、住みかを追い出された人たちや、農漁業や周辺の産業に悪影響を与えているのは事実。原発がなければ、生じなかったであろう被害を、東電が補償していくことになる。

その被害額は、見積もれないほど大きいから、東電が債務超過になり、補償の支払に支障が出ないように、また、東証の上場廃止基準に抵触したり、過去に発行された社債の償還が困難になったりすることを避けようと、国が支援の枠組み作りを進めている。


福島原発禍から思い出すのは、水俣病だ。


国立水俣病総合研究センターのホームページによると、水俣病は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚介類がエラや消化管から吸収、 あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患だ。1956年5月に初めての患者が報告されているという。

補償金支払いのなどため、国や熊本県は原因企業チッソへ融資を続けた。
水俣病と認定されていない患者が、国などに賠償を求めた訴訟で和解が成立したのは、2011年3月のこと。

原発事故賠償でも、原因企業支援の枠組みが決まった。(asahi.com)


東京電力はチッソになった。

薄い色のタオルが多いワケ

池袋から築地までの約3時間、結局、道中の駅で何度か確認したけれど、地下鉄もJRも、復旧していなかった。会社に到着した午後6時30分ごろは、社内のほとんどのエレベーターが止まっていた。一部動いているのもあるようだが、余震で閉じこめられることを警戒して使用を避けた。3時間近く歩いたことより、最後の階段が一番疲れた。

午後6時30分ごろに到着、当日当番はなくなり、翌朝からの仕事に回った。けれど、電車が動いていないようでは、帰ることも、再び出勤することもできない(ちなみに、mapfanで後日調べたのだが、自宅から築地まで歩くと、約11時間かかるらしい) 。

どこかでゆっくりしようにも、緊急地震速報は鳴り続けたり、東京電力福島第一原子力発電所でECCS(緊急炉心冷却装置)が稼働しなくなったりして、落ち着くヒマはなかったのだが、どうしても買い物に行きたかった。


飲み物と、風呂に入るタオルが欲しい。


深夜になって、多少、落ち着きだした頃を見計らい、社外へ買い物に出た。
というのも、社内のコンビニからは、食料品が消えていたので、翌日の仕事を終えるまでの物資を、ある程度確保しておきたかったからだ。

午前1時15分ごろ、買い出しに出発。近くのコンビニエンスストア2店を確認したが、いずれも飲食料は消失。弁当のごはんは会社にあったので、とりあえずレトルトカレーを調達。タオルを買いに、銀座ナインのドン・キホーテに向かった。

海岸通りはそれほどでもないが、昭和通りはまったくと言っていいほど動かない大渋滞。やっぱり動かない方が良いのかも知れない。


ドンキに入ると、カップラーメンなどの食料も充実、ペットボトル入りの飲料もある。タオルも。穴場だったかも。

何となく、濃い茶色が気に入ったタオルを2種類を買って、会社に戻った。
色の濃いタオルなんて、あまり使わないから想定外だったのだが、風呂場でタオルについた石鹸を洗い落としていると、水の色が茶色に。


そっか、だから薄い色のタオルが多いのか。


寝床を確保していたつもりが、人が多くて奪われていて、リクライニングソファーで寝ようとしたものの、寝付けず、地震関連資料に目を通しながら、人生初の完全徹夜で、12日の朝を迎えた。(朝まで試験勉強したこともあったけれど、わずかながら寝ていた!)

午前6時、寝るのをあきらめ、朝食がてら築地市場を偵察しようと社外に出て驚愕。築地市場に入るトラックが列をなして大渋滞。そうだ、物流がパニックを起こしているのだ。
市場に荷物を持ち込むことが今まで見たことのない。いつもの午前6時なら、ほとんど走っている車は、ないのだけれど。

さて、12日午前6時過ぎの築地市場は、場内のお店はいずれも営業中。吉野家も。昨晩の弁当のごはん+レトルトカレーを回避することができた。