少し前の出来事です。
海上自衛官が自殺したのは、先輩のいじめが原因だとして遺族が国と先輩隊員に1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が4月23日にありました。
東京高裁は、いじめについて調査した文書を海自職員が隠したと認め、上官も自殺を予見できたとして、国などに約7350万円の支払いを命じました。(記事参照)
この事件は、いじめの存在について海自がアンケートをして、その資料を保管していたのに、廃棄したと虚偽の説明を、繰り返していたことから、判決が注目されていました。
隠蔽が発覚したのは、裁判実務を担当していた海自の3佐が実名で告発したためです。
この3佐は内部文書を持ち出したとして、懲戒処分が検討されています。
判決後の会見で、自殺した自衛官の母は「言葉だけの謝罪はいらない」と話したと言います。(記事参照)
ここ数年、色々なところで、「適切に対処する」などという決まり文句を見かけます。
昔の「善処します」などと同義語だと感じていました。
類語として「遺憾」というものもあります。
自衛官の母の言葉を聞いて、この種の言葉が、実際は何もしないが、その場の「言葉だけ」の対応を伝えることを目的とするのだと、日頃のモヤモヤ氷塊しました。
物事の多くは、主観によって変わるのですが、「都合良く」というと、あからさまなので「適切に」と言い換えているように聞こえます。
日本語は主語を明示しないことが多いわけですが、誰にとって「適切」なのかを明示しないことで、日本語を「適切に=都合良く」使っていて、言葉の劣化を感じます。
だから私は、「適切」と言う人の話が信用できないのです。