2011年8月28日日曜日

タブレットを買えない訳

 先日、会社の引き出しの中から、二つの電子ペーパーが発掘された。今で言うタブレット端末。一つは富士通フロンテックのFLEPia、もう一つはbrotherのSV-100B。これらは、後継が続いていたり、今も販売が続いていたりする。Microsoft Windowsを搭載したタブレットが話題になったこともあるが、いずれも、今のスマートフォンのようなムーブメントにはなっていない。各社の試行錯誤は、今も続いていると言える。

だから、タブレットを買えない。

それらの製品の善し悪しではなく、それを買って、ずーっとソフト(書籍)を提供してもらえるか、買った書籍データを維持する方法があるのか、疑問が解消できないからだ。数万円を捨てたと思えば良いのかも知れないけれど、そうまでして欲しいのか、と自分に問うと、答えは自ずと明らかだ。
発売されたタブレットを買って、あるいは、電子書籍ソフトを入れて書籍を買い始めた挙げ句、タブレットあるいはソフトの製造元が手を引いたら、消費者は蓄積したすべてを、失うことになる。そのリスクを、あえて取る必要はない。

PCが安心なのは、必要なソフトを一定程度確保できると信じられるからだ。実際、ブラウザ、メール、オフィス系ソフトについては、主なOS用に、高品質なフリーソフトが出回っている。それらさえあれば、過去のデータについても、残していくことができる。
つまり、こちらが必要としているデータが標準化され、後々に引き継がれる枠組みがある。それが、信頼でき、ハードやソフトを安心して購入できる。

タブレットには、それがない。

ところが、スマートフォンとなると、事情が異なる。「どうせ携帯電話を買い換えるから」という理屈で、代金を大目に見ることができるから。その上、データをクラウドに置いておくサービスを使うことができる。将来、そのスマホが壊れても、データを保全できるし、PCとのシンクロも可能だ。もちろん、クラウドが使えない真のガラパゴスも存在するだろうが。

スマホは、ハードとソフトという概念を超え、データ中心という考え方を前進させる好機を作り出していると言える。

それが進めば、タブレットにも商機アリ。データ中心になれば、どんな機種にも依存しなくなるからだ。
PCでもスマホでもタブレットでも、ユーザーの好みで使えるようになる。

かくいう私は、未だガラケー。おサイフケータイをはじめとするガラケーサービスは、スマートだったハズだ。その御利益をworld wideに広げられないのが残念だ。私も年度内には、スマホデビューを果たす。ガラケーサービスを手放さずに済むかどうか、吟味する時期に来ている。

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