「その日が来た」
そう、メッセージを残して去ったのは、2011年8月24日だった。(
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彼をiPhoneやiPadという製品で語るのは、ウワベを見ているに過ぎない。消費者が求めているモノ、生活を便利にするモノをを追い求め続けた。彼は希代の起業家だった。
彼を初めて、そして最後に見たのは、今から10年以上前のことだ。
千葉の幕張メッセで開かれていたMacintoshのイベント。1999年2月だったろうか、World Expoだったろうか、時期と大会名はよく覚えていない。
まるでコンサートが始まるり、ステージにアーティストが表れたときのように、彼が登壇すると会場は沸き立った。
そのステージで彼は、Macintoshにつながったビデオカメラから、ケーブルを抜いた。その瞬間、カメラがとらえていた映像は、静止画となり、再びケーブルをつなぐと、動き出した。
Apple ComputerがFireWire(IEEE1394)を発表したときのことだ。
彼の商品との出会いは、大学生時代にさかのぼる。
大学の計算機室にMacintoshが導入された。
それまでのコンピューターは、黒い画面の上に、緑色の文字が並ぶもので、特殊な命令文(コマンド)を入力しなければ、何も動かなかった。専門的な知識がなければ、とても使うことはできない。
しかし、それでは私たちの生活に、直接、コンピュータが入ってくることなどできない。
マウスを使って、画面上の矢印を動かし、使いたいソフトウエアや、開きたい書類に重ね、ダブルクリックして起動する――。今ではアタリマエのアイコンやウインドウの概念を持ち込み、「パーソナルコンピュータ」というコトバを生み出したのは彼だ。
マウスを用いて操作するには、処理能力の高さを必要とするのに、その直感的な操作から、音楽や写真、グラフィクスなどを扱う人々に愛用された。さらなる高性能を求め続けたユーザーに答え続け、AppleII, Macintosh SE30, Macintosh Quadraなどは、ユーザーにとって垂涎の的だった。
Appleに、そして私たちに転機をもたらしたのが、1999年1月に発売されたiMacだ。
ボディにはストロベリー、ライム、ブルーベリー、タンジェリン、グレープの新色5色が用意された。
当時、Appleに復帰していたSteve Jobs暫定CEOは、「ほとんどの人にとっては、メガヘルツ(MHz)とかギガバイト(GB)とか、その他PC購入時に聞かされるチンプンカンプンな話よりも、色の方がずっと大事だ」と述べた。(
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Microsoftが1995年にWindows 95を発表し、退潮が続く中、消費者が求めるものを、ど真ん中に直球で、打ち返した商品で、Appleの業績回復への決定打となった。
その後、携帯型音楽プレーヤーiPodを作ったが、iPod touchの延長線上にiPhoneがあった。
iPhoneはMacintoshを動かすOS "Mac OS"の進化形と言え、ビジネスという点ではiPodの進化形でしかない。ユーザーをiTunes Storeに、App Storeに囲い込むというスタイルを強化したのだ。
しかし、それはかつて、Microsoftが、他社の商品を真似た商品を次々に投入して、ユーザーを囲い込んだのと似ていた。
使いやすいかも知れないが、Appleに縛られる生活に、人々ははまっていった。
しかし、私にはAppleの魅力が減退しているように見える。Microsoftの独占で苦しめられたことを、Apple自身が始めようとしているのではないか、と感じるからだ。
ただ、iPadはまた少し、異なる存在になるかも知れない。
Microsoft Windowsが先行したタブレットは泣かず飛ばずだった。そこに、iPhoneの延長らしく見せてきたのがAppleだ。
しかし、その姿は、ノートPC Mac Book Airの画面部分そのものだ。
Macintoshは元々、マウスで操作することを前提としているから、キーボードがなくても、ほとんどの操作が可能だ。それを追求したものになっている。
結果、コンピュータの形をしていないコンピュータになった。
欲しかったのは、これじゃないか。
消費者の求めるものを、そうやって商品を提供し続けた人だった。
Appleの、そして彼のファンは、その商品に熱狂し続けた。
次代の生活を描く商品を、創造し続ける人が、登場してくるだろうか。
我々は、その日を迎えた。(
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Steve Jobs 享年56歳。